吉澤織物は、京都に次ぐ高級絹織物の一大産地である新潟県十日町で、歴史・規模・実績において、名実ともにトップメーカーを誇ります。
現在の代表 吉澤武彦氏で八代目となり、約270年間織物に携わってきた家柄で、歴史を語ると江戸時代宝暦年間までさかのぼります。
経営理念に『不易流行』を掲げ、創業以来受け継がれてきた伝統と歴史を重んじ、「変えるべきものは変え、変えてはならないもの」は守りながら、伝統の古典美に尽きることのない創意を加え、美しい着物を創作されている全国屈指の名門染匠です。
吉澤織物の高品質な着物は、主に百貨店や専門店で非常に高い評価を得ています。
吉澤織物の特徴
吉澤織物の最大の特徴として、友禅と織物の両方を創作できる業界唯一の『染めと織りのきもの総合メーカー』という事が挙げられます。
織物を祖業としながら技術革新で高度な友禅技法の導入に成功し、分業制ではなく手仕事による社内一貫体制を確立しています。
また、振袖の型染めでは、通常約100~150枚の型紙を使用しますが、吉澤織物では、約200~300枚使用し、職人の手間がかかっている分、柄の奥行や色数が一般的なメーカーとは全く異なり、色鮮やかで雅やかな品格を感じさせる振袖が特徴です。
生地は、丹後と長浜のみの国産に拘り、一般的な生地に比べて光沢感や厚みがあり、洗練された意匠が色鮮やかに染め上がっています。
吉澤織物は、新潟県十日町市にあり、日本一の大河である信濃川が市の中央を流れています。
自然がとても豊かで、日本三大渓谷に数えられる清津峡やにほんの里100選に選ばれた松之山・松代地域など観光名所も随所にあります。
清津峡
星峠の棚田
吉澤織物の本社入口は、十日町のメインストリート沿いにあります。
写真はみやたけ工房代表の山本博美です。
こちらが吉澤織物の工場となります。
吉澤織物の頭脳部では、”明るく上品で雅やか”という着物の本質を大切に新しく洗練された古典柄の追及と現代に調和する色彩感覚を盛り込んだバランスのとれた意匠創作に取り組んでいます。
下絵を何度も描き直して、選ばれし柄のみ実寸大で色を挿し、完成のイメージを作成します。
振袖だと約20色にもなる染料を全て調合し、サンプル色を作ります。
この染料調合装置では、以前に染められた生地から色を読み取り、全く同じ染料を製造できる為、試し染めや完成時の微妙な色違いなどのロスがなく常に高品質を保つ事が可能となっています。
型職人によって、染めの段階で色が混ざらないように防染していきます。
振袖だと200~300枚にもなる型紙を使いながら、型染めを行っています。
スタッフはベテランから若手までおり、ぼかし加工なども行いながら、職人技を継承していきます。
引き染めの工程では、途中で作業を中断できないため、その日に染める分のみ準備して作業にかかります。
淡い色は難が出やすいため高い技術が必要で、昨今インクジェットのプリント振袖が流通しているのは、この引き染めが出来る職人が減少しているのが影響しているといわれています。
ここは友禅流し(水元)といわれる工程で、防染のための糊や布に定着しなかった余分な染料を水で洗い流します。
良質な地下水を汲み上げ使用しており、作業場は温泉のような香りがたちこめています。
挿し友禅では、絵画を描くように濃淡をつけながら、表現力のある柄に仕上げていきます。
友禅染めに命を吹き込む作業といえ、色彩感覚の優れた職人技が求められます。
最後は、箔置きの工程で金箔や銀箔などを使って装飾を施します。
意匠によって、金彩加工や箔を使い分けながら仕上げます。
吉澤織物では、社内一貫生産を維持するために『働く環境の整備』に力を入れています。
みやたけ工房のYouTubeにて、吉澤織物の制作工程を撮影した動画をアップしました。
宜しければこちらも合わせてご覧ください。
「~吉澤の友禅~振袖が出来上がるまでの工程をご紹介」
今の時代、着物業界では若手の人材を確保するのが難しい中、職場環境を整備する事で、20代のスタッフも多く在籍しています。
全国でもトップメーカーの一つである吉澤織物は、「かけがえのない日本の染織文化を守るという誇りを持ち、装う人に豊かさと美を提供する」という企業理念の元、伝統・文化・美意識を次世代へしっかりと継承されている様子が、実際お伺いした際にも感じ取れました。
優良企業として、地域や業界に貢献し愛される名高い老舗染匠です。
吉澤織物の概要
吉澤家は江戸時代「宝暦年間」より、代々織物に携わってきた家柄で、以来約270年間、時代の変遷とともに匠の心を現代に連綿として伝えています。
初代伴治郎 | 吉澤家は今をさかのぼること270余年前、江戸時代宝暦年間より越後の高級特産品である「越後縮」に携わった家柄で、初代吉澤伴治郎をその祖とし、以後代々織物を生業としてきました。 |
二代目与市 | 越後縮の創作を行い、家業の基礎が固められました。 |
三代目茂平治 | 寛政6年二代目与市氏の没後、御用商人である「松村屋」で大番頭を勤め、幕府より帯刀を許されるまでになった高橋茂平治氏が養子となって後を継ぎ、三代目として安政年度より製造業を始めました。 |
四代目虎吉 | 時代も明治へかけ、苦心の末、麻から絹織物へ転換をはかってきました。 |
五代目貞治 | 18歳の若さで家業を継ぎ、明治30年「明石縮」を開発し、その発展に伴って吉澤織物の基盤を確立していきました。 |
六代目武治 | 昭和25年吉澤織物株式会社を設立し初代社長となり、夏物だけでなくオールシーズン着られる紬絣を手がけました。 |
七代目慎一 | 武治氏の長男、現会長の吉澤愼一氏で、昭和30年代中頃自ら開発した黒羽織はPTAルックとして一世を風靡しました。 産業振興に大きく貢献した事が高く評価され、通産大臣表彰・黄綬褒章受章・旭日小綬章受章を受章しています。 |
現八代目武彦氏 | 平成29年から、十日町織物工業協同組合理事長として産地の振興発展にも尽力されています。 |
織物の産地として1500年に及ぶ長い歴史を持つ十日町のなかで、染と織の両方を一貫生産するトップメーカーとして、技術革新と商品開発そして品質管理をものづくりの基本としながら今日に至っています。
きもの製造業としては、創始160余年、創業120余年の老舗メーカーです。
吉澤織物の所属
十日町商工会議所
十日町織物工業協同組合
吉澤織物の団体職歴
現在、吉澤織物八代目当主吉澤武彦氏が十日町織物工業協同組合理事長を務めています。
吉澤織物の受賞歴
十日町きものフェスタにて、最高賞である経済産業大臣賞を2016年度から3年連続受賞されています。
その他、数えきれない程の受賞歴があります。
吉澤織物の賞罰
1993年 | 通産大臣表彰 |
1997年 | 黄綬褒章受章 |
2006年 | 旭日小綬章受章 |
有名人の着用
沢山の著名人にお召し頂いておりますが、非公開となっております。
吉澤織物のブランド展開
昭和50年代に吉澤織物は、業界でいち早く「ブランド戦略」を展開し、「吾妻徳穂」「七代目吉澤与市」をはじめ「吉田簔助」「矢萩春恵」「田中優子」などのブランドを次々に開発し、業界を代表するロングセラーブランドに育てていきました。
吾妻徳穂・踊りの世界
日本舞踊で洗練された美意識が余すことなくいかされた独創の意匠美。
吾妻流の宗家「吾妻徳穂」先生の舞台衣裳やその世界をテーマに創作された正統派の名にふさわしい格調と気品あふれる本格古典友禅のきものです。
二代目 吾妻徳穂 (あずまとくほ)
1957年 | 初代吾妻徳穂の孫として東京に生まれる |
1961年 | 3歳で新橋演舞場「お染久松」のお染にて初舞台 |
1979年 | 第9回芸術選奨文部大臣新人賞受賞 |
1978年 | 井上バレイ団と共にロンドン、スコットランド公演 |
1988年 | 歌舞伎俳優中村智太郎(現中村鴈治郎)と結婚 |
2002年 | 第56回芸術祭賞大賞受賞 |
2004年 | 第60回日本芸術院賞受賞 |
2014年 | 三世宗家を継承 二代目吾妻徳穂を襲名 |
2015年 | 紫綬褒章受章 |
きもの業界で40周年にもなる最も歴史あるトップブランドとして、愛され続けています。
吉田蓑助の世界
文楽の中に女性の美しさを求めてきた「吉田蓑助」先生。
変わる事のないその美意識が、和の世界を彩るきものに見事に結晶しました。
長い歳月をかけ伝え、洗練してきた意匠の数々が優美な個性となって華やかさを競います。
三代目 吉田蓑助 (よしだみのすけ)
1933年 | 文楽人形遣い桐竹紋太郎の三男として大阪に生まれる |
1961年 | 三代目簑助を襲名 |
1970年 | 芸術選奨文部大臣賞 |
1985年 | 国立劇場文楽賞文楽大賞 |
1988年 | 国立劇場文楽賞文楽大賞、第三十回毎日芸術賞など受賞多数 |
1994年 | 人間国宝(重要無形文化財)に認定される |
1996年 | 紫綬褒章受章 |
1997年 | 恩賜賞・日本芸術院賞を受賞 |
2007年 | フランス政府より芸術文化勲章コマンドールを受章 |
2009年 | 文化功労者として顕彰 |
2012年 | 日本芸術院会員に任命 |
ブランド30周年を迎え、有名デパートや一流専門店で愛され続けています。
矢萩春恵の世界
ときに晴れやかな景色をつくり、また厳かなひとときを彩って。
華やかな中にも凛とした美しさを感じさせる「矢萩春恵」先生のきもの。
筆を通して自己を鍛錬し、伝えてきた「日本の心」は装う人の思いにも重なり合います。
矢萩春恵 (やはぎしゅんけい)
東京に生まれる。 漢字を手島右卿、かなを町春草に師事
1958年 | 日展入選 |
1974年 | 初個展、以後日本国内はもとより、香港、フランス、アメリカ、インドなどで個展 |
1975年 | 外務省訪欧文化使節団員として作品展を開催し、書のパフォーマンスを披露 |
1987年~ | (公財)日本ユニセフ協会のチャリティ年賀状に参加し、現在まで続く |
1989~91年 | ハーバード大学客員教授として東洋美術史学科の「書」の講座を担当 |
2003年 | 毎日書道顕彰 啓蒙部門受賞 |
2008年 | 文化庁長官表彰受章 |
2013年 | 東京・銀座和光にて、安倍晋三首相の母、洋子さんが実行委員長を務める矢萩春恵展「お・ん・な」を開催、好評を博する |
2016年 | 旭日双光章受章 |
現在、(公財)独立書人団参与、毎日書道展参与会員、夏雲会主宰、(財)橋田文化財団評議員
書を通して伝えてきた「日本の心」を表現した優美と気品の正統派古典柄が魅力です。
田中優子の世界
能や狂言、文楽、歌舞伎、さらに食や衣服に至るまで、さまざまな文化が花開き、大衆の間にも広まった江戸時代。
その変遷を読み取り、多様な魅力を紹介してきた「田中優子」先生によっていま一度その麗美な世界がきものの中によみがえります。
田中優子(たなかゆうこ)
江戸文化研究の第一人者で、東京六大学初の女性総長。
1952年 横浜生まれ 法政大学社会学部および、国際日本学インスティチュート教授。
専門は、日本近世文化・アジア比較文化
1958年 | 日展入選 |
1986年 | 芸術選奨文部大臣新人賞受賞 多彩な文化活動で今日の江戸ブームのきっかけをつくる「江戸の想像力」「江戸の音」「江戸を歩く」「江戸はネットワーク」「江戸百夢」など、著書も多数 |
2005年 | 紫綬褒章を受章 |
2014年 | 法政大学総長に就任 テレビ番組「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演 |
吉祥の晴れ着をテーマに創作した雅で格調高い古典ブランドです。
吉澤与市
二代目 吉澤与市氏以降、歴代の吉澤家当主が襲名する「吉澤与市」。
特に七代目・吉澤与市氏は、黄綬褒章受章及び旭日小綬章受賞の伝統作家です。
紬地に、染めや絞り、箔、刺し子、ロウケツなど様々な技術や技法を用いて新しい感覚のオリジナルきものを創作されています。
「真綿更紗」「手筋絞り」「ぜんまい真綿紬」「松彩絞り」「綾部絞り」「ぜんまいお召」など七代目吉澤与市ならではの挑戦の歴史が生み出した稀少技術の融合したおしゃれ着です。
しかし、現在の功績を残すまで、大変な苦労をされています。
学生時代、東京の立教大学に通うにあたり、「卒業証書をもらう事」、「お嫁さんは十日町でもらう事」、「家業を継ぐ事」と母親と三つの約束し、結果全て果たしますが、大学卒業後間もなく先代が腎臓結核で病に倒れ、三年後に母が他界し、大学卒業後わずか五年で吉澤織物当主となります。
吉澤織物に当時流行していたお召しを織る技術がなかった事から、色絵羽織の開発を始めますが整経ムラがひどく、悩み苦しんだ末にムラを隠す為に絵羽織を真っ黒に染め上げたところ、PTAルックと称され、前例のない空前の大ブームとなり、その後二十年間に十日町全体で約千百万点を生産される事になります。
この「黒羽織」(PTAルック)の生みの親こそ、七代目吉澤与市氏です。
原点となった色絵羽織の物づくりから、友禅など自社にない技術を取り入れ創意工夫を加えるチャレンジ精神が吉澤織物に行き息づく原動力となっています。
日本の染織技術の結晶ともいえる「織物」は先人が悠久の時を経て、それぞれの時代の中で大切に育んできたものだけに、そこには多くの“知恵と文化”が凝縮されています。
きものの里の歴史、風土に根ざした伝統の織物だからこそ与えてくれるあたたかいぬくもり、手わざ工芸の深い感動、洗練された美の感性―。
この“つむぎ”には与市氏のものづくりに対する志と想い、そしてきものに対する揺るぎない愛情と情熱が“こだわり”として込められています。
1934年 | 十日町市生まれ |
1957年 | 立教大学を卒業し、吉澤織物株式会社入社 |
1981年 | 本来の工芸紬(織り)、に、染め、絞り、刺繍、箔などを複合させた全く新しいおしゃれ着「七代目 吉澤与一市の世界」を発表し話題となる 通産大臣賞(3回)他、さまざまな賞を受賞 十日町織物工業協同組合理事長(三期)他、関東八産地協議会会長、新潟県きもの振興会会長など業界の要職を歴任 |
1993年 | 長年にわたる業界への功労が評価され、通産大臣表彰に輝く |
1996年 | 十日町商工会議所会頭となる |
1997年 | 産業振興に貢献したことにより、 黄綬褒章受章 |
2006年 | きもの振興への多大なる功績が高く評価され、旭日小綬章受賞 |
吉澤織物の作品
まとめ
生地から友禅の仕上げまで純国産に拘った吉澤織物の着物は、日本の伝統工芸の結晶といえます。
今作れれば良いという訳ではなく、継承していく事も実践しながら物作りをされている姿勢は、トップメーカーとしての誇りと先人達から受け継がれる技術や精神などを次世代に伝えるという強い使命感が、ひしひしと現場から伝わってきました。
約270年間、伝統と歴史を紡いだ名門吉澤織物の本格古典柄振袖は、一見の価値ありです。
吉澤織物のお着物をご覧になりたい方は、みやたけ工房までお気軽にお問い合わせ下さいませ。
みやたけ工房は、ホンモノの着物を製造する染匠を応援しています。